名護屋城跡
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に築いた名護屋城。
城が後世に使われないように、石垣の主要な部分を壊して引き揚げたと言われる城跡です。
国内の桃山時代の城郭としては最大のものだそうです。
天気がよい日には壱岐や対馬まで見通すことができ、その他にも島が点在することから拠点としてこの地が選ばれたとの事。
現在は人口数千人の町ですが、当時は全国から160を超える大名が集まり、20万人以上の人が暮らす城下町になっていたというこの一帯の様子を想像しながら、
新緑が目に鮮やかな名護屋城跡周辺を歩いてきました。
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